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Channel: 消された伝統の復権
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野崎日記(393) 日本を仕分けする(17) オバマ(1)

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 金融、経済に関する限り、オバマ氏の演説内容はあまりに具体性に乏しく、がっくりきたというのが本音だ。政策を論じる前に、まず現状認識として反省が足りない。世界的な金融危機の根本を作ったのは、ブッシュ政権ではなく、民主党のクリントン政権の時代だ。同政権で、財務長官を務めたロバート・ルービン氏が中心になり、金融規制緩和を進めたためだ。演説では、そうした経緯には一切触れず、「一部の人々の貪欲さと無責任さにある」などという表現でごまかしてしまった。

 オバマ政権が既に指名した閣僚には多様な面々がいるが、経済関係閣僚には「ルービン派」が多く、「規制反対」の声に押し切られている印象だ。最大の問題は金融市場をどうするか。金融危機を受け、投資銀行は消滅させたが、今も商業銀行は大変な状況だ。今後、新しい金融監督機関を作り、どうコントロールしていくのかも全く示されていない。不良債権の確定も進まない中、気前よく国家が救済しているだけだ。

 オバマ氏はレトリックは確かにうまいが、経済政策はそんな甘いものではない。100年に1度の危機に立ち向かうためには、大胆な取り組みが必要で、きちんとした方針を示すべきだ。就任式直後、ニューヨーク株式市場でダウ平均が急落したのも、投資家たちが危惧を持ったためだろう。この政府は何もできないと判断したのではないか。

 グリーンニューディールで雇用を生み出していくなど、オバマ氏の政策で期待する部分もある。演説でも、クリーンエネルギーの重要性に触れ、就任式前に鉄道で移動したのもいいメッセージになった。また、対外投資より国内投資を重視し、「イノベーションの必要性」などに触れいている点も好感が持てる。経済政策の転換という意味では、新古典派、新自由主義を反省し、財政出動を重視するケインズ主義の復権に触れた意味も大きい。演説では「大きい政府」という表現を避け、「国家の大小ではなく、機能しているかどうかだ」という巧みな表現を使った。現在の試練を打開するために「労働と誠実さ」などを挙げた点も国民へのメッセージにはなるだろう。

 一方で、イラクやアフガニスタンへの戦争の反省がないのも不満だ。莫大な軍事支出は米国経済の悪化にもつながった。批判的な視点を持たず、あれだけ多くの人が集まることにも怖さも感じ、間違った全体主義につながらないことを願いたい。
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野崎日記(394) 日本を仕分けする(18) オバマ(2) 

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オバマ政策は米国経済を本格的恐慌に追い込む

                    

 現在の米国発の世界金融危機に米国オバマ新政権が積極果敢に対処していると、日本では高く評価されている。米国の素早い対策が今回の経済危機を早期に落ち着かせるであろうともいわれている。はたして、そういいきっていいのだろうか。事実はその反対である。

 オバマ政権は、金融危機の原因に対して何らの判断を示すことなく、目もくらむ膨大な公的資金を、危機に陥った企業や銀行にひたすら注ぎ込んでいる。しかし、危機の源を除去することは一切していない。何が問題であり、危機の責任を誰がとるべきなのか、危機の原因をどのようにして取り除くのか、等々、一切不問にされたまま、未曾有の膨大な公的資金の投入を口先で約束しているだけである。

 米国財政も膨大な赤字である。つまり、膨大な公的資金は、国債を中央銀行であるFRB(連邦準備銀行)に引き受けさせることによってしか作り出せない。しかし、中央銀行による国債引き受けによって資金を生み出すことはそもそも金融政策上の禁じ手である。


 一 米国には使える公的資金はない

 二〇〇九年二月一〇日、オバマ政権の新財務長官ティモシー・ガイトナー(前ニューヨーク連銀総裁)が、米国の新たな金融安定化策を発表した。ところが、その途端にニューヨークのダウ工業株三〇種平均株価が約四〇〇ドルも急落して、八〇〇〇ドルを割り込んだ。オバマ政権に対する失望売りであった。

 ガイトナーが発表した金融安定化策は、次のようなものだった。?官民共同の不良資産買取ファンドの設立(五〇〇〇億〜一兆ドル)、?住宅差し押さえ回避策(五〇〇億ドル)、?FRBのTALF制度(Term Asset-Backed Securities Loan Facility=期間物資産担保証券貸出制度)といって、クレジットカードや学生・自動車ローンなどの小規模ローンを集約したABS(Asset Backed Securities=資産担保証券)を保有する個人や法人に、FRBが直接融資をおこなう制度(二〇〇九年より導入)を、それまでの最大二〇〇〇億ドルから最大一兆ドルに拡充。

 このように、最大で二兆ドル(一八〇兆円)規模の公的資金支出が発表されたのである。まだある。この発表直後に、米政府は八〇〇〇億ドル規模の景気対策法案も発表した。合わせて三兆ドル弱(二五〇兆円)規模の大盤振る舞いをするという宣言であった。ところが、ニューヨーク市場は株式の失望売りという反応を示したのである。

 こうした膨大な資金をどのような操作で生み出さすのか?市場の失望はこの疑念にある。そして、不思議な事態が見受けられる。FRBの国債引き受けが減少したのである。FRBが国債引き受けをしていないとすれば、膨大な資金をオバマ政権はどこから生み出そうとしているのか。

 二〇〇八年一一月末、米国の国債は高額は、一〇兆六六一二億ドル(約九七〇兆円)であった。同年一二月末では、一〇兆六九九八億ドル(約九七四兆円)で、対前月比三八六億ドル増。ところが、二〇〇九年一月末には、一〇兆六三二一億ドル(約九六八兆円)と、対前月比六七七億ドルも減少したのである。意外なことに、米国債の発行残高は、二〇〇八年一一月末以来横ばい、そして、減少したのである。

 この事実はどのように理解されるべきなのか?オバマ政権は膨大な公的資金供給を宣言した。しかし、実際には、二〇〇八年一二月半ば以降、米政府・FRBによる追加の金融対策や景気対策はほとんど実行されていなかったのである。年末以降、FRBや米政府は、毎週のように数千億〜数兆ドル規模の景気対策・金融安定化策を発表してきたが、それらは口先だけであった。

 二〇〇九年二月一〇日のガイトナーによる金融安定化策の発表も、財源については一切触れられていなかった。それが市場の失望を呼び、株価を急落させたのである。金融機関や企業は、厄災の種をまき、混乱を引き起こしたのに、行き詰まると国家に救済を要求するご都合主義の姿勢には辟易するが、それでも、口先だけの約束への市場の失望感は深い。

 つまり、FRBは国債引き受けに逡巡し、さりとて、国債の市中消化は進んではいないのである。米国は、二〇〇九年二月に、一六四〇億ドル(約一五兆円)の米国債の入札が実施されたが、この程度の市中消化では、三兆ドルもの資金調達目標からすれば絶望的なほどの少額である。現在の米国政府には、金融・経済対策に動員できる財源の見込みなどほとんどなくなっている可能性が強い(http://www.financial-j.net/blog/2009/02/000823.html)。

 米『ウォールストリート・ジャーナル』(二〇〇九年二月一一日付)によると、FRBは、これまで以上の国債引き受けを忌避しているという。FRBはさらに、長期融資の拡大にも消極的という。景気が回復し、FRBが利上げのために金融システムから資金を吸い上げたい時に、長期融資で供給した資金は回収が困難になる可能性があるからであるというのが、伝えられるFRBの姿勢である(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090212-00000446-reu-bus_all)。

 二 ニューディールを上回る資金供給約束

 二〇〇九年一月二六日付の米『タイム』誌が、オバマ政権の公的資金散布約束の異常な膨大さを指摘した。一九三〇年代の大恐慌を克服するためにフランクリン・ローズベルト大統領によるニューディール政策は伝説として語られてきたし、オバマ政権もグリーン・ニューディールを標榜している。ここにも、私たちを錯誤に陥れる仕掛けが用意されている。ローズベルトが、ニューディールとして使った公的資金は、わずか四九億ドルであった。もちろん、貨幣価値が異なるので、現在のわずか四九億ドルと受け取ることは間違っているが、それでも、現在価値に直したとしても、七五〇億ドルを超えることはまずないであろう。第二次世界大戦でも、GDPの二〇%を超す出費ではなかった(大前研一「相当に危ういオバマ政権の経済認識」、第一六三回、二〇〇九年二月一二日、http://www.nikkeibp.co.jp/article/news/20090212/131416/)。

野崎日記(395) 日本を仕分けする(19) オバマ(3)

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 ところが、オバマ政権は、三兆ドルを二月一〇日に約束したのである。それ以前の、公的資金投入約束、および、借金額をすべて加算すれば、米国のGDP一五兆ドルの八〇%強を占める。しかし、これだけの巨額の資金調達自体が米政府にはできない。FRBは、いずれ、過渡的に国債を引き受けるように軌道修正をするであろうが、問題は、国債の市中消化のあてがまったくないことである。日本は米国の圧力に屈して米国債を引き受けるであろうが、日本よりもこれまで、大量の米国債を引き受けていた中国は、オバマ新政権への不信感を隠していない。

 ブッシュ政権時代のポールソン財務長官が、まず、中国の感情を刺激した。退任直前の二〇〇九年一月二日、『フィナンシャル・タイムズ』に「とりわけ、中国の過剰貯蓄が金利低下をもたらし、リスクを世界中に広げた」と、今回の金融危機の原因は、中国にあるとして、米国責任論を否定する発言をした。ポールソンは、ゴールドマンサックスの会長時、対中国ビジネスを強化し、中国で最初の元を扱う外国金融機関の地位を確保してきた。にもかかわらず、退任直前になって自らの責任を中国に転嫁したのである。

 オバマ政権の財務長官のガイトナーも前任者の発言を踏襲し、「中国は為替操作国として大統領が認識している」とこれまた中国を挑発した(二〇〇九年一月二二日、上院財政委員会の質問への返答書簡)。米国に対する発言権を増す意図であろうが、中国は、米国の金融危機が深刻化した二〇〇八年九月から米国債購入を増やしていた。しかし、ガイトナー発言に立腹した中国の温家宝首相は、二〇〇九年一月三一日、英国の華僑関係者とのロンドンでの会合で「今後も米国債を買い続けるか、どの程度買うかは、中国の需要や外貨資産の安全性と価値を保つ必要性に基づいて決める」と述べ、米国債を大量に買い増してきたこれまでの方針を見直す可能性を示唆した(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/218319)。

 とすれば、米国が即刻で頼れるのは日本のみである。オバマ政権の発足後、クリントン国務長官が初の外遊先として日本を訪れたほか、麻生太郎首相が外国首脳として初めてホワイトハウスに招かれた。日本との関係緊密化に動く背景には、発行が急増している米国債の購入を要請することが狙いではないかとの観測記事が出されていた。二〇〇九年二月二五日現在、日米首脳会議の公式発表からは、米国債の話は出ていない。しかし、何らかの裏取引が両首脳間で交わされた可能性は否定できない。真相は不明である。ただし、膨大な米国債は日本のみでは消化できない。

 オバマ政権の相次ぐ財政支出で、二〇〇九年度の財政赤字は一兆五〇〇〇億ドル(約一四二兆円)に上るとみられ、長期金利は、深刻な景気後退にもかかわらず、二〇〇九年に入りジリジリと上昇している。コロンビア大学経営大学院の日本専門家、アリシア・オガワは「中国に次ぐ世界第二位の米国債保有国である日本に米国債の継続的な購入を要請することが首脳会談の目的の一つ」と分析していた。米国債の二二%を保有する中国が米国債を買わなくなればオバマのシナリオは完全に崩れる。リチャード・カッツは「日米首脳会談で日本の顔を立てた後は、米国は中国との対話を本格化させる」と予想した(http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009022400518)。

 中国を恫喝すれば、米国の危機を解消できると単純に思いこむオバマ政権は、かなり危ういと大前研一は断言した(前記ブログ)。


 三 金融規制反対であったオバマ政権の経済閣僚


 LTCM破綻後の一九九八年に、米商品先物取引委員会(CFTC=Commodity Futures Trading Commission )のブルックスリー・ボーン(Brooksley Born)委員長(Chairperson)が、金融取引を規制せず野放しにすれば「経済が重大な危機にさらされる」可能性があると言明した。しかし、規制導入をめぐり、グリーンスパン前FRB議長やルービン元米財務長官との縄張り争いに屈した(http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=infoseek_jp&sid=a47IZfZDKVDw)。

 ボーン委員長による試案取りまとめの段階で、当時財務相副長官であったサマーズが委員長に電話をかけ、副長官室に一三人の金融実務家たちが待機しているが、「この試案を
発表すれば、第二次大戦後の最大の金融混乱が起こると彼らは懸念している」と恫喝した。

 一九九九年一一月、長官に昇進したサマーズ財務長官とグリーンスパンFRB議長が、金融派性商品を政府の管理下に置くことに反対した報告書を出した。さらに、二〇〇〇年、上院銀行委員会の当時の委員長のグラム共和党上院議員が提出した「二〇〇〇年商品先物近代化法」が成立し、商品先物の規制を事実上禁止した(Heuvel, Katrina, "Brooksley Born: The Woman Greenspan, Rubin & Summers Silenced," http://www.global-sisterhood-network.org/content/view/2205/59/)。

 つまり、債権の証券化の歯止め、金融派生商品の規制、レバリッジ規制、投資内容の透明化、格付け会社の透明化、モノラインの透明化、等々の米国が解決すべき課題解決の道筋すらオバマ政権はつけていない。確実なのは、口先約束の破綻からくる経済の奈落、約束を果たした後のハイパーインフレーションの恐怖、それこそ、本格的な恐慌の到来である。

野崎日記(378) 日本を仕分けする(2) 金融(2)

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金融犯罪の典型

                             
 はじめに

 全国小売酒販組合中央会は、全国の酒小売販売業者によって組織されたものである。私的年金事業を営んでいた。この年金事業が2004(平成16)年6月に破綻した。いかがわしい社債を世界の一流金融機関から掴まされ、全額無価値になってしまったからである。掴まされた社債の発行体は、カナダの「チャンセリー・アンド・リーデンホール・リミテッド」(Chancery Leadenhall, Ltd.)という会社であった。この会社は、ウィリアム・ゴッドリー(William Godley)という南アフリカ国籍の人間の所有であった。中央会はこの会社に年金基金の80%を投資していたのである(1)。

 同中央会は、2002(平成14)年12月から2003(平成15)年4月にかけて、この社債を144億円分購入した。ただし、購入を決断したのは、同会の理事会ではなく、事務局長であった。事務局長が理事会の承認を得ることなく、独断専行で購入してしまったのである。ちなみに多くの金融詐欺事件は、正式の理事会を通さずに、担当職員の暴走によって契約されたものである。パターン化されたこの手口にじつに多くの企業が引っかかっている。私が知っている大学も、有名証券会社の名前ではめられた。

 被害者は、中央会ではあるが、老後に備えて同会に年金の掛け金を支払い続けていた小売店主の有志が「全国証券問題研究会」の会員弁護士に調査を依頼した。依頼人数は170名、依頼者だけでも、被害総額が5億2493万円であった。

 いかがわしい「チャンセリー債」(Chancery Bonds)を組成したのは、「インペリアル・コンソリデーティッド・グループ」(Imperial Consolidated Group)の日本組織、「インペリアル・コンソリデーティッド・ジャパン」(Imperial Consolidated Japan)であった。この組織は、日本で「アジャンドール倶楽部」という名前でも営業していた。インペリアル・コンソリデーティッド・グループは、行政監視の緩いカリブ海諸島に本拠を置き、米国、オーストラリア、ニュージーランド、日本などで、消費者金融業、事業者金融業に投資すると称して、投資家から多額の資金を騙しとっていたことで、多くの訴訟問題を起こしていた。

 中心人物のウィリアム・ゴッドリーは、恐喝を専門とする英国のインバーロ(Invaro)への貸付事業に投資すると標榜して、中央会の年金資金を騙しとったのである。

 このいかがわしい社債の販売に、クレディ・スイス(Credit Suisse)が係っていた。チャンセリー債を、中央会はクレディ・スイスを通して、購入していたのである。これは、中央会がクレディ・スイスと交わした「信託契約」(Trust Agreement)に基づく(2)。名高いクレディ・スイスと契約したのだからと中央会は頭から信用してしまったのもやむをえないであろう。

 クレディ・スイスは、中央会と契約するさいに、事前に契約書の案文を見せていなかった。また、中央会の一事務員が代表者の印鑑を勝手に使用することに異議を挟まなかったという通常の手続きを無視した。そして、クレディ・スイスは中央会から一億円もの手数料をせしめたのである。クレディ・スイスは、被害者弁護団の質問にさいして、「当社は、センチュリー債がどういうものか知らないし、知る義務もない。すべては、中央会の自己責任である」と嘯いたという。

 弁護団は、次のような感想を述べている。

 「本件は、あらゆる私的年金事業の劣悪な資産運用管理態勢が表面化した事件ですが、年金事業者が、殊に国際投資詐欺に対する免疫をほとんど持ち合わせていないことを物語る事件でもあります。不幸にして、このような事件が起こったのは、複雑な金融商品が氾濫し、しかもそれが国境をまたいで世界中を駆け巡っているという現象と無関係ではない、むしろそういった流れにあって不可避の病理現象と捉えております」(「全国小売酒販組合中央会・巨額投資被害事件、被害者弁護団」のパンフレット、2009(平成21)年1月20日付)(3)。

 一 すべては酒販売自由化から始まった

 日本の小売酒販店は、小泉内閣の規制緩和の嵐の直撃を受けた。2001年までは、酒類販売の免許を取得するさいに、大型店などの特例を除き、既存の酒小売販売売り場との距離が一定以上離れている必要がある距離基準、及び一定人口に1店舗しか免許が下りない人口基準があった。酒販売店は近所に競合店ができないように、法律で厚く保護されていたのである。

 しかし、2001年1月に距離基準が廃止された。しかし、人口基準はまだ残っていて、東京都の特別 区など、大都市では1500人に1店、中都市では1000人に1店、小さな町村等では750人に1店しか、酒類販売が認められていなかった。

 2003年9月には人口基準も廃止された。酒類販売免許が取得しやすくなり、酒屋の隣のコンビニエンスストアで酒類が販売される、ということが起こるようになった( http://www.foodrink.co.jp/backnumber/200302/news0209j-2.html)。

 ただし、経営に大きな影響を受ける一部地域の中小・零細の酒店を保護するため、自民党などが同年、「多くの小売店の経営が困難に陥っている」など一定の条件を満たした全国1274地域(地域は原則、市町村単位)を対象に、例外的に出店を規制する特例措置を議員立法で定めた。この法律が、「酒類小売業者経営改善等緊急措置法」である。

 同法は03年9月から2年間の時限法だったが、個人経営の酒店などを中心に再延長を求める声が強く、05年8月に1年間の再延長が決まった。この特例法の成立、その延長を政府に対して強く働きかけてきたのが、中小酒販店の業界団体、全国小売酒販組合中央会であった。このときの政治献金は、それこそ、生死をかけて巨額のものであった(4)。

 しかし、06年、件の中央会が、元事務局長の業務上横領事件に伴い政治活動を自粛した。さらに、政府・与党が06年6月18日までの通常国会の会期を延長しない方針を固めたため、再延長の法案提出が間に合わず、時間切れとなった。そして、6月12日、与党が同特例法の再延長をしない方針を固め、結局、出店制限の特例法は、06年8月末に失効し、06年9月から全面的に自由化されることになった(『讀賣新聞』2006年6月13日 付)。高く付いた詐欺被害であった。

野崎日記(398) 日本を仕分けする(22) 天変地異(1)

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 09年8月11日午前5時7分、駿河湾を震源とするマグニチュード6.5の大地震が東海地方を襲った。静岡県中西部と伊豆半島では震度6弱を観測した。静岡県内で震度6以上の地震を観測したのは、1944年に発生した東南海地震以来、つまり、戦後最大の地震であった。

 震源地が東海地震の想定震源地内にあったので、100〜150年周期で発生すると予測されているM8クラスの巨大東海地震の前兆かと列島を不安が駈けめぐった。

 それにしても、09年8月に入ってから、9日から14日までの間に、東海・関東地方には震度3以上の地震が6回も起こった。とくに、9日(日)夜の東海道南方沖で発生した地震では、都心や東北地方でも震度4を記録した。地震の規模はM6.8という巨大さであった。これは、04年の新潟県中越地震、07年の中越沖地震と同じ規模のものであった。かなり沖合いだったので、被害が小さかっただけである。

 専門家たちで構成される気象庁「地震防災対策強化地域判定会」は、11日に直ちに「東海地震と関連性はない」との見解を発表した。判定会会長の阿部勝征・東大名誉教授は、記者会見で次のように述べた。「規模の大きな地震が起きた後に『前兆』すべりが誘発されて、それが想定東海地震につながるのではないかという最悪のシナリオを懸念していた」と、安堵の表情を浮かべた。

 しかし、そもそも、前兆すべりという想定は正しいのか。

 東海地震は、フィリピン海プレートが、日本列島の下に潜り込み、その境界面にひずみがたまり、それが限界に達すると、ひずみを解消しよとプレートが大きく動いて発生すると想定されている。

 ひずみ解消運動が起こる前に前兆すべりがあると気象庁は観測を続けているのである。そして、09年8月11日の地震は、境界面よりももっと深い地点で発生したので、東海地震の引き金にはならない、事実、東海地震を誘発する前兆すべりは観測されなかったと、気象庁の判定会は判断したのであろう。

 しかし、井田喜明・東大名誉教授は、気象庁の判断に疑問を提起した。伊豆半島がフィリピン海プレートの「つっかい棒」の役割をはたしているが、11日の地震がこのつっかい棒を外した可能性は否定できない。もし、外したのなら、障害がなくなったプレートはさらに、日本列島に潜り込み、ひずみを増すことも考えられると『週刊朝日』の取材で語った。

 松村正三・防災科学技術研究所研究参事は語った。地盤がゆっくり動く現象を「スロースリップ」という。このスロースリップが静岡県を中心に起きている。00年から5年間にわたり、東海地震の想定震源地域にある浜名湖の地盤にその現象が観測された。そして、07年後半から静岡県中央部に向かって地盤が動いているし、静岡県西部では07年後半から地震が活発になっている。00年に三宅島噴火、04年に紀伊半島南東沖地震が起きた。さらに、11日の地震が起きた。事態は差し迫っていると同氏は懸念を表明した。

 想定震源域の真上に浜岡原子力発電所がある(「東海地震は近い」、『週刊朝日』09年8月28日号、127〜29ページ)。

 09年夏は不気味な現象が相次いだ。6〜7月に全国各地でオタマジャクシが空から降ってきた。いまだに原因は特定されていない。ミツバチが見られなくなった。失踪してしまったのである。大阪では、7月、日本にはいないはずのホメリンゴマイマイが大量発生した。8月には北海道でマイマイガが大量発生した。巨大なエチゼンクラゲも依然として大量発生している。今夏の房総半島沿岸の海水温度が例年より低く、海水浴客を震えさせた。魚市場には季節外れの魚が並んでいる。黒潮が例年より海岸沖に遠ざかったためとされている。梅雨がなかなか明けなかった。09年7月19〜26日には、中国・九州北部豪雨が発生、山口県防府市では、土石流の被害で死者が30人出たし、8月9〜10日、台風9号の影響で集中豪雨が発生、兵庫県佐用町では20人以上の死者・行方不明者が出たように、異常な豪雨が頻発した。7月27日には、群馬県館林市で竜巻が発生し、民家など400棟以上が損壊した。

 異常気象は、ペルー沖合の海面水温が高くなり、それによって気圧変化が生じ、大気の流れが変わって世界中で異常気象を引き起こすと一般的には説明されている。

 しかし、エルニーニョだけで今夏の異常気象を説明することは困難である。寒暖のバランスが崩れてしまっているのである。

 長期的には地球温暖化が進んでいるとしても、毎年着実に気温が上昇しているのではない。寒暖の差が大きくなるのが、進行している現象である。温暖化に大きくぶれると北極や南極の氷が一気に溶けてしまいかねない。寒冷化に大きくぶれると全地球が凍結してしまいかねない(スノーボール化)。

 気象異変も100年に1度のものといわれている。太陽活動の低下が生じているというのである。太陽野黒点は11年周期で数を増減させる。太陽の黒点は、太陽活動が活発なときに増え、不活発になると、その数を減少させる。09年は、周期的には黒点の数が最小にさせる不活発時期を乗り越えたはずであある。ところが、09年まったく黒点が増える気配がないのである。黒点が減ると、地球が太陽から受ける放射エネルギーも減る。雲も出やすくなるという。そして地球は寒冷化に向かう。

 歴史的にも、1645〜1715年の約70年間、太陽黒点がほとんど見えず、テムズ川が凍ったり、氷河が平野部にまで降りてきて、地球は急速に寒冷化した。江戸時代にも飢饉が続いた。光合成をする植物が減り、その受粉を請け負うミツバチがいなくなったことは大変な天変地異の到来を予兆しているのではないか(「日本列島異常事態」、『週刊朝日』09年8月28日号、130〜31ページ)。

野崎日記(399) 日本を仕分けする(23) オバマ(5)

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 一 反自民と民主支持とは異なる

 多くの人々が、とにかくいままでの自民党政権が嫌になった。だから民主党に政権交代の夢を託した。しかし、そのことと、民主党に熱い支持が集まることとはまったく異なる。なんだ、カレーライスとライスカレー程度の違いだけだったのかということが人々に意識されたとたんに、民主党は瓦解するだろう。

  そのことは、今年の五月に日本中の耳目を集めた鹿児島県阿久根市長選挙が象徴的に示している。市の支配的な企業や有力人物が斉藤洋三前市長の後継である国交省の役人である田中勇一氏をかつぐことでまとまっていたのに、体制派は、市長を失職させられた竹原信一氏に敗れた。

 阿久根市は、もともと豊富なマイワシで潤っていた漁村であった。しかし、マイワシが獲れなくなってしまった。八〇年頃、鹿児島日本電気が近隣の出水市に工場を建設し、阿久根市にも協力工場がいくつか建てられた。食えなくなった漁民たちがそうした工場で職を得ていた。しかし、二〇〇〇年以降、鹿児島日本電気の主力部門が中国に移され、阿久根市内最大企業であった上野製作所は〇六年に破綻し、三三〇人ほどの従業員が解雇された。さらに、出水市の鹿児島日本電気とパイオニア工場が閉鎖され、阿久根市から通っていた三〇〇人以上が職を失った。市内の製造業就業者数が約二二〇〇人であったので、三〇%が失職したのである。加えて、三位一体改革による地方交付税の大幅削減、公共事業の縮小。こうした低所得層がほぼ全員、竹原氏を支持した。それまでは、自民党支持であった漁業関係者も自民党を見限った。

 阿久根市は全国平均よりも一〇%も高い三四%の高齢化率である。人口も最盛期の四万人から二万四〇〇〇人にまで激減してしまった。業民も九五〜〇五年で七五〇人から四二〇人にまで減った。市民は、まさに食えなくなっていたのである。

 竹原氏は、市役所窓口に「この課の職員は○○円もらっています」とか、自身のブログに職員の給与明細書を掲載し、新築住宅はすべて市職員によるものとか、自治労の市職祖を市庁舎から追い出そうとした。そうした竹原氏の反公務員戦略が効をを奏したのである。ヒトラー的ポピュリズムの台頭である。真の敵を攻撃するのではなく、マスコミ受けを狙うだけの生け贄を作り出すことがポピュリズムと定義したい。

 厚労省の発表によれば、〇七年の一世帯当たり平均所得は前年よりも一〇万六〇〇〇円減少し、平均所得よりも低い世帯が六〇%、年収二〇〇万円世帯が一八・五%に上った。〇九年度統計はまだ出ていないが、この数値よりもはるかに悪化しているであろう。

 〇八年のOECD統計によれば、〇五年の日本の相対的貧困率(平均家計所得の半分以下の割合)は、OECD三〇か国中、四位の高さで、さらに、一世帯当たり所得は減少を続けているという。購買力平価で換算したとき、下位一〇%の平均所得は三〇か国平均よりも低く、上位一〇%では平均よりも高い。

 ところが、この二〇年間に、企業の経常利益は二倍、一人当たり役員報酬は一・五倍、株主配当は四・三倍に増加した反面、給与は〇・九五倍と減少、年収二〇〇〇万円以上の高額所得者は、九〇年の二倍以上になった。
 〇九年七月三一日に総務省が発表した数値によると、完全失業率は五か月連続で上昇し、五・四%になった。これは、〇三年六月以来の六年ぶりである。就業者数は前年同月比一五一万人減と過去最大の落ち込みで、六三〇〇万人だった。製造業や建設業で落ち込みが激しい。一方、完全失業者数は三四八万人と八三万人増と増加幅は過去最大となった。生産活動の縮小などに伴う「勤め先都合」の失業者が一二一万人ともっとも多く、定年や自己都合を上回った。

 警察庁の発表によれば、〇九年上半期の自殺者数は一万七〇七六人と、前年同期から四・七%増えた。このままのペースで推移すると、今年度の自殺者は過去最高だった〇三年の三万四四二七人を超える勢いで、一一年連続三万人を超える。自殺の理由の約三〇%が金銭面の問題を苦にしたものであった。WHO(世界保健機関)によると、日本の自殺率は、世界でも旧ソ連諸国に次ぐ非常に高いものになっている。

 こうした背景が既得権力の瓦解を生み出している。〇九年頭から七月五日までに一一四の自治体首長選があったが、現職が再選されたのは四五の自治体だけであった。まさに、人々は既得権力を忌避し始めたのである。

 二 社会党を分裂させて出現した二大政党

 大企業を中核として、農民や中小商工業者を同盟とする利益分配型の自民党単独支配構造は、一九九〇年頃には、すでに行き詰まりを見せていた。労働組合の上層を取り込んだ二大政党制は、こうした現状打破を狙う層によって支持されるようになった。。自民党を割った小沢一郎氏は、九三年の総選挙で、日本新党、新生党、新党さきがけ、社会党、公明党、民社党、社民連、民改連の八つもの政党・会派をまとめ上げて、細川護煕政権を作り上げることに成功した。自民党は一時的ではあれ下野し、二大政党制への過渡期が始まった。しかし、細川政権は八か月しかもたず(九四年四月辞任)、後を継いだ新生党党首羽田孜内閣も二か月後に倒れた(九四年六月)。これは、新生党、日本新党、民社党などが日本社会党抜きで院内会派の改新を結成し、社会党が連立を離脱したためである。そして、自由民主党総裁河野洋平が日本社会党委員長首班の連立政権、つまり、新党さきがけを含めた自社さ共同政権を実現させた。その村山政権も、九六年一月に崩壊する。同時に社会党は社民党に編成替えした。その後、自民党中心の連立政権が続く。自自((九九年一月)、自自公(九九年一〇月)、自公保(〇〇年四月)、自公保新(〇二年一二月)、自公(〇三年一一月)と続いた。

 民主党は九六年、鳩山由紀夫氏と菅直人氏を代表として誕生した。当初、社民党はまるごと民主党に入ろうとしたが、鳩山氏による「排除の論理」で阻止され、社民党の半数が党を離脱して、民主党に合流したが、村山派などは社民党として残った。そして新社会党が分裂し、社民党は三つに分解してしまったのである。そして、九八年新進党の解党を受けて民政党などが民主党に合流、〇三年、自由党と合併した。

 見られるように、左派的な社会党が解体させられた過程が二大政党成立の流れであった。労働組合の上層が「排除の論理」に沿う形で保守的な民主党に組み込まれたのである。

野崎日記(400) 日本を仕分けする(24) オバマ(6)

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 民主党の指導部、常任幹事会は三一人いる。労働組合出身者は六人にすぎない。最高幹部と顧問の六人のすべては、元自民党である。労働組合や連合は選挙のさいの票田としつぃか機能できていない。

 鳩山代表は、違憲とまで反対していたインド洋への海上自衛隊派遣は、「外交の継続性が必要だ」として容認した。同じく、ソマリア沖への派遣継続を決めた。非核三原則の見直し、憲法改定にも言及している。これまであった「思いやり予算の検証」を削除した。日米地位協定の「抜本的な改定」を引っ込め、「改訂を提起」という表現に改めた。核兵器を搭載した艦船の寄港や領海内の通過は日米両国の事前協議の対象外にすると発言した(〇九年七月一四日)。朝鮮への制裁強化、道州制導入も示唆した。消費税率アップも明言した。自民党との違いはカレーライスかライスカレーの差でしかない。

 日米安保関係については、民主党は自民党の政策を踏襲するおとは間違いない。〇九年七月一八日、外務・防衛当局の局長級による日米安全保障高級事務レベル協議が開かれ、米国の日本への核の傘を含めた抑止力を強化すべく、定期的に協議することで両国は一致した。

 中曽根弘文外相は〇九年七月一一日、ズムワルト駐日米臨時代理大使との間で米海兵隊のグアム移転協定に基づく日本側の資金負担を定めた書簡を交換した。日本側の負担総額は六一億ドルである。五年間にわたって日本側は負担するが、とりあえず、〇九年度は三億三六〇〇万ドルを日本が支出することになった。米軍再編の費用まで日本が負担するのである。

 日米地位協定上、在日米軍駐留経費のうち日本側に義務づけられているのは基地の地代、基地周辺対策費だけであったはずだが、日本政府は、「思いやり予算」として、労務費・基地建設費、水光熱費、訓練移転費と拡大してきた。七九年には、年間六一億円であったが、現在は二五〇〇億円規模にまで拡大した。これは、日本の社会福祉費削減額を上回る規模である。七九〜〇八年度の提供施設整備費の累計は二兆円を超している。
 在外米軍基地の資産価値で、在日米軍基地は第一位であるばかりか、米同盟国で基地建設費のほとんどを支出しているのは日本だけである。

 また、日本経団連は、〇九年七月一四日、武器輸出三原則の緩和を提言した。現行F2支援戦闘機の防衛省への納入が二〇一一年度で終了するために、国内生産も終了することになって、関連企業が相次いで撤退していることが、経団連の提言の理由である。武器輸出三原則が緩和されれば、日本企業も武器の国際共同開発に参加できるようになるからである。つまり、日本の軍事産業を育てるためである。

 また、民主党は、橋下徹・大阪府知事が推奨するように、道州制の導入に積極的である。

 いまや、「地方分権」が錦の御旗に祭り上げられている。しかし、〇九年七月一五日の全国知事会の提言には、地方消費税の引き上げ、地方交付税の復元・強化が謳われた。これが道州制に移行すれば、弱小の自治体の財源を州が独占し、巨大公共事業を道州の首長たちが独占できるという構図に直結する。

 戦後の日本の地方制度は、基礎的な自治体である市町村と広域自治体である都道府県で構成されてきた。道州制は、現行の都道府県を廃止し、一〇前後の道州に再編することである。同時に道州制の提唱者たちは、基礎自治体を三〇万人規模の三〇〇市程度への市町村の再編を謳っている。道州は、いまの都道府県の仕事の一部と国の仕事を合わせた規模の巨大事業の推進を可能とする。しかし、それは、公務員、大学、福祉施設の数の大幅減少を同時に必然化するのである。こうして、地方分権の名の下に、地方自治の形骸化が進むことになる。

 今後、広域自治体の首長になれるのは、特定の層を集中的に攻撃し、過激な発言をしてテレビのお茶の間番組で人気者になれる資質を持つ人だけになる。これから、彼らが連合して道州制の名の下に、巨大事業を推進する時代に入る。二大政党もまたテレビで人気者の首長たちのご機嫌取りに走ることになる。

 三 カリフォルニア州の破綻の影響

 カリフォルニア州は、米国人口の約一二%を擁する人口面では最大の州であり、州内のGDPが約一・八兆ドルあり、フランスに匹敵し、大阪府の三倍もの規模である。

 単年度で約二六〇億ドルの財政赤字となり、州政府は〇九年七月一日、「非常事態宣言」を出し、IOU(I owe you)という借用証を発行し、七月中旬までで約五億九〇〇〇万ドルになった。バンカメとかシティグループはあまりもの大量発行に怖じ気づき、受け入れを拒否した。つまり、この借用証を買った人や企業はそれを現金化できないはめになっているのである。

 やむなく、シュワルツネッガー知事は〇九年七月二八日、予算を縮小させる修正案に署名した。
 しかし、この縮小予算では、州職員の解雇・自宅待機、給与カットのほか、学校や福祉関係支出で約一六一億ドルの削減が余儀なくされた。

 〇九年六月だけで約七〇〇〇人の役人・教員が解雇された。

 二万七〇〇〇人もの囚人が服役期間を短縮されて釈放された。いうまでもなく経費節減のためである。法廷までもが三日間休廷させられた。マリファナの合法化すら法案化させられるほどである。

 カリフォルニア州の完全失業率は全米平均を大きく上回る一二%である。
 全米最大の公的年金である「カリフォルニア州公務員退職年金基金」(カルパース)も、過去一年間に五六二億ドルもの損失を出している。公的年金であるために、州政府も放置できず、知事は年金改革を主張しているが、年金基金の損失額は州の歳出の半分以上もの規模になっている。給付の大幅引き下げと年金受給開始年齢の引き上げ、拠出金の増額などが確実視されている。開始年齢は一挙に六歳も引き上げられそうである。

 全米の州政府全体で赤字額は〇九年六月時点で一二〇〇億ドルにも達している。〇七年の地方自治体のデフォールト額は約三億四九〇〇万ドルであったのに、〇九年は上半期だけで約三一億五〇〇〇万ドルになっている。すでに一〇倍なのである。各州は、麻薬の合法化、アダルト産業、賭博への課税強化で急場をしのごうとしている。ユタ州では授業日数を減らしたり、学級当たりの生徒数を増やしている。ケンンタッキー州では、携帯電話の着信音への課税が導入された。バージニア州では、刑務所にいる服役者の部屋代を五倍に値上げするという法案を通した。

野崎日記(401) 日本を仕分けする(25) オバマ(7)

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 各州政府は、公共料金収入にリンクしたデリバティブ債券なども大量に発行している。それゆえに、州財政が破綻すれば、そうした州のデリバティブも危機に陥る。こうして、米国の金融危機は次の段階に向かうことになる。

 〇九年七月一〇日に発足した新GMは、政府が六割も出資している。今後三年以内に米国内の工場数を四七から三四に縮小、六万二〇〇〇人の労働者を四万人にまで減らす。新会社の年間予想販売台数は三九〇万台弱に半減する。販売台数で世界の第一位から八位に急転直下の後退である。

 ところが、米国の金融界は、巨額の公的資金で救済され、巨額のボーナス文化が維持されている。ニューヨーク州のクオモ司法長官は、「分別のない金融機関のボーナス文化、どちらに転んでも損しない」と非難した。シティグループやメリルリンチなど米大手銀九行は、〇八年に総額三二六億ドルのボーナスを支払った。公的資金一七五〇億ドルを受け取りながらのことであった。〇九年のボーナス支払額はさらに膨らんだ。ゴールドマン・サックスはすでに〇九年上期に報酬・手当を三三%も増やした。

 オバマ米大統領が、〇九年六月一七日に発表した金融規制改革案は、ファンドのメンバーのSEC(米証券取引委員会)への登録を決めただけのものである。しかも、登録情報の利用は監督機関に限られ、一般公開はされない。また、自己資本比率の下限制限、レバレッジ比率の規制なども適用されない。銀行に対しては、彼らとの取引の失敗でシステミック・リスクの連ならないように、十分な資本準備金の確保を求めただけである。

 膨大な税金収入を投入しながら、労働者の首切りと金融界への過剰保護によって米国社会が安定することは不可能である。

 米財務省は、〇九年七月一三日、六月の財政赤字が九四三億ドル強となり、〇九年度会計年度(〇八年一〇月から)での累積赤字が一兆八六三億ドル弱とすでに一兆ドルを超してしまった。赤字が年間で一兆ドルを超すのは初めてである。〇八年度の財政赤字は四五五〇億ドルであった。

 これほどの膨大な資金を投入しても、米国の実体経済は改善していないのである。

 膨大なドル散布政策を支えているのは、中国である。中国の中央銀行である人民銀行は、〇九年七月一五日、六月末の外貨準備額が二兆一三二〇億ドル弱になったと発表した。第二位の日本の二倍以上である。準備額の七割はドルである。米国債保有額は、八〇一五億ドルであり、二位の日本の六七七二億ドルを大幅に上回る。一年で二九四七億ドルも増加させたのである。

 こうした状況を反映して、第一回米中戦略・経済対話が〇九年七月二七日、ワシントンで開催された。中国側は、副首相の王岐山、国務員の戴秉国、米国務長官のヒラリー・クリントン、米財務長官のティモシー・ガイトナーが開会式に参列した。中国側の出席者はは一五〇人の高官であり、うち、二四名は大臣級であった。

 この会談でクリントン国務長官は米中二国が同舟の関係にあると語った。クリントンとガイトナーは、米中を除いて世界の重要問題は解決できないとまで語ったのである。米国は、米中関係をG2と表現したのである。つまり、時代は、パックス・シノ・アメリカーナの時代になりつつある。

 それを証明するかのように、オバマ政権は、二〇一〇年の大統領選の共和党候補の噂の高い現役のユタ州知事、ジョン・ハンツマンを駐中米大使に〇九年五月一六日に指名した。ハンツマンは、敬虔なモルモン教徒のの宣教師であり、台湾で伝導したこともあり、流暢な中国語を話し、中国の少女を養子にしている。ハンツマンは、洪博培(Hong Bopei)という中国名を名乗っているほど中国通である。ハンツマンは、商務次官補代理(東アジア・太平洋担当)、駐シンガポール大使、通商代表部次席代表などを経て〇四年にユタ州現職に初当選し、〇九年で二期目であった。

 財務長官ティモシー・ガイトナーも、米国の対中政策のキーマンになりそうである。ガイトナーの父は、中国でフォード財団中国事務所設立責任者で、フォード財団の主任研究員であった。ガイトナーは、父親の仕事の関係で、日本、中国、タイ、インドなどで暮したこともある。ダートマス大学でアジア研究、ジョンズ・ホプキンス大学大学院で日本と中国の研究をした。北京大学への留学経験もある。中国語に堪能である。中国共産党人脈も大きなものがある。
 彼の二〇年以上のキャリアには民間勤務の経験がないが、ゴールドマン・サックスとの関係は非常に濃密である。ゴールドマン・サックスは政府要人であったとき、彼は重要な地位にゴールドマン・サックスOBを多数つけた。

 〇八年七月には、中国工商銀行の発行株式時価総額がシティグループを抜いて、金融業で世界一になった。その銀行の取締役会名簿には、ゴールドマン・サックスの大物が二人いる。

 一人は、クリストファー・コールである。彼は、〇六年六月から同行の重役を務めている。ゴールドマン・サックスのファイナンス投資部門議長でもある。

 もう一人が、ジョン・ソートンである。彼は、〇五年一〇月から同行社外重役を務めている。一九八三年には、ゴールドマン・サックスの共同COO(ポールソン元財務長官と組む)であった。現在も重役である。

 ソーントンンは、清華大学の教授でもある。ソーントンは、ゴールドマン・サックスのヨーロッパ拠点を強化し、M&Aを盛んに手掛けてきたし、九五〜九六年には、ロンドンのゴールドマン・サックス・インターナショナルの共同会長、九六〜九八年には、ゴールドマン・サックス・アジア会長であった。この時期は、まさにアジア通貨危機の真っ最中であり、ソーントンは、ゴールドマン・サックスの支店網を強化することに成功した。清華大学の顧問委員会には、中国投資公司(CIC)の楼継偉CEOとか、ビルダーバーガーの龍永図(ボアオ国際フォーラム理事長)、スティグリッツ、BPの執行理事のイエン・コン、国務院発展研究センター常務幹事の呉敬?らが名を連ねている。

 CICは、中国政府系投資ファンドである。〇七年に北京で組成世界第四位の政府系ファンドである。〇七年には三〇億ドルでブラックストーングループい、五億ドルでモルガン・スタンレーに資本参加している。

 二兆ドルを超す中国政府の外貨準備額の運用をCICが任されているのである。CICは、西側政府に影響力のある産業に資本参加することを目指すものと理解されている。航空会社などがそれである。あるいは、中国に大ききな投資をしている外資系企業もその対象である。会長の楼は大臣級扱いである。他にも、彼は、国家開発改善委員会などの重要な部局の責任者でもある。

 それはともかく、米系投資銀行が中国の国家ファンドにノウハウを提供していることだけは確かである。〇九年三月、中国のメディアはCICがいよいよ不動産とか資源などの実物資産に投資するようになったことを伝えた。

 じつは、オバマ政権になって、時代は、米国の金融と中国の政府系金融とが手を取り合う金融におけるパックス・サイノ・アメリカーナに突入したのである。

 大量の米国債は買わされるが、その運用がほとんど許されていない日本に反して、中国は大量の米国債を武器として米国の金融機関そのものを買収しようとしているのである。その意味で、今後の日本の経済は、金融、エネルギー資源、農産物市場で、米中の金融連合軍の餌食になることは必須である。

 外国による米国債保有額は、〇九年五月末時点で三兆二九三一億ドルあり、一年間で六九六八億ドル増えた。国債買い付けを増やしたのは、中国が二九四七億ドル、日本が一〇一九億ドル、この二国の保有増が図抜けて大きい。二国だけで増額の五七%も占めている。国別の増減額を見ると以下のようになる。

 カリブ(+八九三億ドル)、石油輸出国(+二八七億ドル)、英国(−七四億ドル)、ブラジル(−二四三億ドル)、ロシア(+六〇八億ドル)、ルクセンブルグ(+二一一億ドル)、香港(+三二八億ドル)、台湾(+三六八億ドル)、スイス(+二一八億ドル)、ドイツ(+一〇三億ドル)、アイルランド(三五〇億ドル)、シンガポール(+九〇億ドル)、インド(二〇八億ドル)、韓国(−一〇億ドル)、メキシコ(−八〇億ドル)、トルコ(−一億ドル)、ノルウェー(一〇八億ドル)、タイ(−六〇億ドル)、フランス(+二五九億ドル)、イスラエル(+一三七億ドル)、エジプト(+六〇億ドル)、イタリア(+五五億ドル)、オランダ(+七億ドル)、ベルギー(+三三億ドル)チリ(+三六億ドル)、スウェーデン(−二億ドル)、マレーシア(+三一億ドル)、コロンビア(+四三億ドル)、フィリピン(++二八億ドル)、カナダ(−一八八億ドル)、その他(+四〇一億ドル)。

 ほとんどの国が米国債保有を増やして米国財政を支援してることが明らかであるが、それにしても総じて先進諸国が米国債に冷たく、日中だけが飛び抜けて大きいことが分かる。

野崎日記(402) 日本を仕分けする(26) オバマ(8)

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 四  ソマリア、アフガニスタンの泥沼に巻き込まれる危惧

 ソマリアは、三三〇〇?とアフリカ最長の海岸線を持っている。この海域はマグロの豊かな漁場であった。ソマリアが無政府状態になると、外国の水産会社が海岸線を支配する勢力から漁業権を買い取った。外国漁船は年間一〇〇〇隻前後、領海内に入ってトロール漁法でマグロを乱獲した。年間漁獲高は一九八〇年の四〇〇〇トンから〇三年には一二万トンに跳ね上がった。しかし、いまでは乱獲がたたって三万トン台にまで減少している。沿岸漁民はそのあおりで収入の道を断たれている。

 一九九〇年代、外国の企業が同じく海岸線を支配している軍事勢力に沿岸に産業破棄物の投棄を認めさせた。その結果、ソマリア沖には重金属や有毒化学物質を含む産業廃棄物や医療廃棄物が大量に投棄された。〇五年に派生したインド洋の大津波によって、放射性物質を含む廃棄物が大量に海岸線に打ち上げられた。多くの沿岸住民たちが被爆した。その数、数万人といわれている。この乱獲と汚染に追い立てられたソマリア人が海賊になった。

 イタリアと英国の植民地であったソマリアは人口九〇〇万人、一人当たりGDPは六〇〇ドル程度しかない。国民の半数は半飢餓状態にあり、幼時の四人に一人は五歳までに死ぬ。平均寿命は四九歳。ソマリアのエイルという村が海賊の基地になっているが、海賊の担い手は内陸部からやってくるという。ギャロウェイという致死には難民キャンプがあり、親を失った子供たちはそこの孤児院に集められて生活をしている。孤児院の子供たちが孤児院を出された後に海賊になるという。職がないてめである。彼らは生きる術を奪われてきた。彼らの海賊化は銃で阻止できるものではない。

 同じことがアフガニスタンについてもいえる。

 〇九年七月二日、タリバン支配のアフガニスタン米軍が「剣の一撃」作戦と銘打って海兵隊四〇〇〇人を投入する大攻勢をかけた。アフガニスタンで実施される八月二〇日の大統領選挙前に国内治安を回復させようとの意図から出された作戦であった。アフガニスタンには、六万八〇〇〇人の米軍や四二か国からの六万二〇〇〇人からなるISAF(国際支援部隊)が駐留し、タリバンの拠点を攻撃しているが、各攻撃部隊は、攻撃した地点に留まる兵力的余裕がないために、すぐに基地に帰還、再度、タリバンが支配を取り返すという悪循環が継続している。そこで、オバマ政権は、〇九年五月一一日、新しい駐留米軍司令官の任命と駐留米軍を二万一〇〇〇人増やすことに決めた。

 オバマ大統領は、イラク戦争を「間違っていた」と総括したが、アフガニスタンについては、「テロとの戦い」に必要とし、六月三〇日にイラクの都市から米軍を撤退させ、主力をアフガニスタンに移した。

 米国は、アフガニスタン最大の民族であるパシュトゥン人のハミド・カルザイ大統領を暫定政権にすえ、〇四年の選挙で大統領に押し立てたのであるが、カルザイ政権自体に汚職が蔓延し、軍閥は国家のことなど知らぬ顔でり、治安状態がいいところは、タリバンが支配する地域だけとなっている。住民は次第にタリバン支配を歓迎するようになってきている。米軍が去るとタリバンが戻ってくるという構図は、ベトナムでの悪夢と同じである。まさに、アフガニスタンはオバマにとってのアフガニスタンである。そもそも、アフガンに介入すれば、本国自体がおかしくなるのは歴史が示している。

 一八八〇年、英国がアフガニスタンを保護領にしたが、一九一九年に独立運動に敗れ撤退した。
 一九七九年ソ連軍が侵攻開始したが、一〇年後の八九年、一〇万人のソ連軍が追い出された。

 そして、米国が、〇一年米国と有志連合諸国は自衛権の発動として攻撃を開始し、それから八年が経つ。そして戦乱は、自体はアフガニスタンに留まらず、パキスタンにまで拡大しているのである。

 パキスタン軍は〇九年四月二七日、同国の北西辺境州ディール地区で二日連続にタリバンを攻撃し、タリバン側から死者四六人が出た。同地区でタリバンとの仲介に務めていた宗教指導者らは、同攻撃を平和協定違反と非難し、州政府との対話拒否を示した。また、同攻撃に反発したタリバンも、同地区の電話施設を占拠し、両方の衝突が再発するとの懸念が高まっている。なお、地元テレビ局は同日、約二〇万の地元住民が戦闘の激化を懸念して避難し始めたと報じた。

韓国併合―神々の争いに敗れた「日本的精神」 [単行本]

阪神淡路大震災から17年

経済学における共感1

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 まもなく、本山教授のブログが再開される予定です。
当プログはもうすぐ万6年目を迎えますが、その原点となった京都大学退官講義「経済学における共感」のビデオを連載としてアップいたします。

 プログの新たな出発の意味も含めご覧ください。

 

経済学における共感2

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その2です。
「陰鬱な科学としての経済学と人間の経済学」

「ノミスマ−合意の産物」

 

経済学における共感3

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J.Sミル論−ミルと時代精神−



経済学における共感4

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Poemと科学

−生活科学と道徳的、哲学的感性の高まり−


経済学における共感5

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ニーチェ論−若さに対する挑戦−
マルクスの学位論文

 

経済学における共感6

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「ピタゴラスと魂の浄化」
「「神は死んだ」という意味」
「「日本的なもの」の認知」


 

 

経済学における共感7-最終回-

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sympathy−ニーチェのデューラー論−
まとめ−科学ではなくPoem−



野崎日記(403) 韓国併合100年(42) はしがき(1)

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 はしがき

 危機は、これまで秘密にされてきた真実を暴く。事態が深刻になる前から、多くの欠陥は見えていたはずである。

  二〇一一年三月一一日の発生から日々深刻さの度合いを増している福島原発の事故にしろ、大震災・大津波にしろ、危機が発現するまでには、十分すぎるほどの警告があった。しかし、ほとんどの人々は、原発であれ、防潮堤であれ、構築物の安全性を強調する理論に信頼を置いていた。その理論が、素人には分からない神秘的なものであればあるほど、人々は、その理論が示す処方を正しいものと思い込んできた。いや、思い込まされてきた。

 しかし、実際に大事故が起こってみると、深遠な理論がまったく役に立たないこと、しかも、安全性を監視してくれていたはずの国家機構が、業界と癒着していて、果たすべき役割をほとんど実行していなかったことを、人々は否応なく思い知らされた。構築物の一部だけが損傷されているにすぎないとの業界や監視機関の言い分を信用している間に、システムそのものが破壊してしまったことに人々は震え上がった。そして、危機が生じる度に経験してきた忌まわしい事態、つまり、政府内部での分裂という事態に人々の心が萎えた。社会的なパニックは、この過程から生じる。過去のあらゆる危機が教えてくれるように、事故を収拾する対策が遅れれば遅れるほど、危機は深刻化し、長期化する。

 安全神話は、過去の通常の、ありふれたリスクを理論の中に取り込んだだけのものであり、滅多に起こらないが、起こってしまえばシステムそのものを破壊してしまう劇的なリスクを、例外的なものとして排除したことから作り出されたものでしかなかった。

 一九八〇年代に入って、政府は公的な介入は正しいことではないとして、できるかぎり業界への介入を控えてきた。介入のなさが業者をしゃにむに儲け口に殺到させた。そして、介入を担うはずの役人が業者を最大の後ろ盾にする ]ようになった。また、理論構築の責任を担うべき学者までがこの構図にどっぷりとはめ込まれていた。

 一九九三〜九九年に「国際原子力機関」(IAEA)の事務次長を務めたスイスの原子力工学専門家のブルーノ・ペロード(Bruno Pellaud)が、産經新聞のインタビューで、「福島原発事故は、東電が招いた人災である」と切り捨てた(『産經新聞』二〇一一年六月一二日付三面)。福島第一原発を氏は弾劾した。

 「東電は、少なくとも二〇年前に電源や水源の多様化、原子炉格納容器と建屋(たてや)の強化、水素爆発を防ぐための水素再結合器の設置、などを助言されていたのに、耳を貸さなかった」、「事故後の対応より事故前に東電が対策を怠ってきたことが深刻だ」。

 福島第一原発の原子炉は、GE製の沸騰型原子炉マーク一型であったが、一九七〇年代から、この型の原子炉は、水素ガス爆発の危険性が高いとの見解が出されていたと氏は指摘した。スイスもこの型の原子炉を採用していたが、当時、スイスで原発コンサルタントをしていた同氏の提言もあって、格納容器を二重にするなど強度不足を補ったという。氏は、一九九二年に、東電に対して上記のことと、排気口に放射性物質を吸収するフィルターの設置を進言した。

 しかし、東電は、「GEが何も言ってこないので、マーク一型を改良する必要はない」との姿勢であった。東電の、この頑な姿勢は、ペロード氏がIAEAの事務次長になってからも変わらなかった。

 二〇〇七年には、IAEAの会合で、福島原発の地震・津波対策が十分ではないと指摘され、その席上で、東電は「自然災害対策を強化する」と約束した。

 津波対策としては、溝を設けて送電線をそこに埋め込むという作業などが含まれるはずであった。しかし、東日本大震災で露呈したことは、東電がこのような初歩的な措置すら施していないという事実であった。既設の送電線がなかったので、東電は、震災後、慌てて臨時の送電線を引く工事をした。この工事に一週間以上も要したのである。その間、原子炉は致命的な損傷を被った。氏は、それは「理解できないことである」と断じた。

 「チェルノブイリ原発事故はソ連型事故だったが、福島原発事故は世界に目を向けなかった東電の尊大さが招いた東電型事故だ」と氏は言い切ったのである。

 危機が深刻になればなるほど、事故の情報は歪曲される。例えば、一九八六年四月のチェルノブイリ原発事故。事故の真の原因は原子炉そのものの構造的欠陥であったが、西側諸国は反原発運動の激化を恐れて、運転員の規則違反行動が事故の原因であるとしたソ連政府側の発表を黙って受け入れた。事故の真因は隠蔽され、歪曲されたのである。

 それは、客観的事実の検証とともに、作業に携わった当事者たちの意識を分析することの重要性を示している。

 岩手県宮古市姉吉(あねよし)の海抜六〇メートルの小高い丘に津波の石碑がある。そこには、「高き住居は児孫の和楽、想え惨禍の大津浪、此処(ここ)より下に家を建てるな」と刻まれている。一八九六年の「明治三陸地震」と一九三三年の「昭和三陸地震」で、姉吉地区は激しい津波被害に遭った。「昭和三陸地震」では、海抜約四〇メートル近くまで押し寄せた大津波により、地区の生存者はわずか四人だけであった。その生存者たちが、津波到達地点より、さらに二〇メートル高い場所に石碑を建立した(http://miharablog.seesaa.net/article/194131123.html)。ちなみに、宮沢賢治も一九三三年の津波を経験している。「被害は津波によるもの最も多く海岸は実に悲惨です」と同年三月、宛先不明(詩人・大木実宛?)の葉書の下書きに記している(宮沢賢治全集』ちくま文庫、第九巻、五七三ページ)。この石碑の戒めはほとんどの日本人の脳裏からは消え去ってしまっていた。

 さて、今回のテーマである「日本的精神」について、災害との関連で説明しておきたい。「危機」を理由に「民族の一体化」を声高に示した戦前の集団心理を、私は「日本的精神」と表現したい。

 「危機」との関わりで「日本的精神」を褒めそやすことは、昔からナショナリストたちによって多用されてきたものである。今回の大災害についての渡辺利夫の次の寄稿文はその典型例にある。

 「人間は安寧な自然の中で生成したのではない。私どもは過酷な自然の中に遅れて生まれ来たる者なのである。天変地異によって、万が一、民族の半分が消滅してしまったとしても、残りの半分は自然の冷酷な仕打ちを怨(うら)みながら、しかし、生き存(ながら)えて次の世代に日本という存在を継いでいかなければならない。苦境に陥ったときほど生きて在ることをより鮮やかに確認し、生命力を漲(みなぎ)らせる民族の連綿たるを証さねばならない。強靱なる民族とはそういうものなのだろう。日露戦争の戦端が開かれたときの明治大帝の、広く知られた御製にこうある。

 しきしまのやまとこころのをゝしさはことある時ぞあらわれにける
 個々の生命体は必ず滅する。しかし死せる者の肉体と精神は遺伝子を通じて次の世代に再生し、永遠なる生命が継承されていく。その個々の生命体がすなわち民族である」(渡部利夫「三月一一日を<国民鎮魂の日>に」、『産經新聞』二〇一一年六月一〇日付、第一三面)。

 渡部は、<危機こそが民族結集の好機である>と理解している。<日本民族は、危機を幾度も乗り越えた経験のある、雄々しい遺伝子の集合体である。危機発生に際して、日本民族は結集しなければならない>。<危機は自然だけでなく、国際関係にもある。その中で、「民族」が生き延びるためにも強力な「やまと心」を日本は持たなくてはならない>。渡辺の主張はこのようにまとめることができるだろう。

 渡辺のこの主張は、戦前の「日本的精神」と重なる。「日本的精神」なるものは、つねに新たな高揚の口実を探してきた。

 その傾向は、第二次世界大戦の敗戦とともに消え去ったわけではない。中国脅威論、朝鮮共和国(北朝鮮)敵視論が、「民族」意識高揚を狙って声高に叫ばれる。脅威には、同盟国との連携が必要であるとされる。「日本的精神」高揚の手法は、戦前といささかかも変わってはいない。同盟国の相手が変化しただけである。

 韓国併合一〇〇年の二〇一〇年とその翌年の二〇一一年、日本は朝鮮半島の文化や社会を破壊したのではなく積極的に現地に貢献していたという説が臆面もなく流布されるようになった。<鉄道を敷き、鉱工業を興し、学校を建て、朝鮮の近代化に貢献した。巨大な水豊ダム建設によって、大規模な発電、巨大コンビナートを発展させた。鉄鉱石鉱山、炭鉱なども開発した。言語を奪ったどころか、朝鮮語の教科は一九三八年までは必修、一九四一年までは任意科目にした。学校では、日本語の唱歌と並んでハングルによる日本の唱歌の翻訳と朝鮮語の歌も唱歌として採用した。ハングルを普及させたのは朝鮮総督府の貢献である> (藤岡信勝「正論」、『産經新聞』二〇一〇年八月一八日付、第一三面)>との議論がその典型である。さらに、大東亜戦争擁護論が、韓国併合一〇〇周年の二〇一〇年から執拗に語られるようになった。自分たちは正しかった。米軍に敗れただけであると嘯く。そこには、日本人が東アジア大陸から締め出されてしまったことへの自省心のかけらも見られない。



 何百万人の戦死者を前にして責任を取って自決した軍部指導者は、ただ一人であった。責任の所在がつねにあいまいにされ、自らとは異質な存在を尊敬の念でもって抱え込む姿勢がなく、自らのみを中心に置く「無責任な主我主義・集団和同主義」を、私は、「日本的精神」と表現したい。この「日本的精神」が東アジアの民衆から拒絶されてきたし、いまもそうなのである。    

野崎日記(404) 韓国併合100年(43) 韓国併合と米国(1)

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 1-1 韓国併合と米国

 はじめに

 一八七六年、駐露公使(Minister to Russia)であった榎本武揚(えのもと・たけあき)(1)は、当時の外務大臣・寺内宗則(てらうち・むねのり)(2)に書簡を送り、日本にとって、朝鮮の経済的貢献は小さいが、安全保障の視点からすれば非常に重要な政治的・戦略的位置にあると語った(田中[一九九七]、六一ページより引用)。

 経済的利益はないが、安全保障の見地からは、朝鮮は、戦略的重要な位置にあるというのが、当時の元老たちの共通認識であった。しかし、史実はそうではない。明治政府は朝鮮半島から経済的利益をむさぼり取ろうとしていた。

 それは、すでに、一八七六年、日本と李氏朝鮮との間で結ばれた「日朝修好条規」に現れていた。この条約は一八七五年の江華島事件後に結ばれたことから江華条約(Treaty of Ganghwa)とか、一八七六年が丙子の年に当たるので、丙子条約(Treaty of Byon-Ja)とも呼ばれている。

 修好条規は、漢文と日本語で書かれている。条規は全一二款からなり、付属文書一一款、貿易規則一一則、公文からなる。条規第一款は、「大日本国」と「大朝鮮国」が相互に自主独立の国であること。条規第四款で、すでに日本公館が置かれている釜山(Busan)は言うに及ばず、即時に、元山(Wonsan、一八八〇年開港)、仁川(Incheon、一八八三年開港)をも開港させる。条規第九款で貿易制限禁止。条規第一〇款で、日本人の治外法権が定められた。

 付属第七款で開港場における日本の貨幣使用が認められた。貿易規則第六則では、それまでは禁止されていた朝鮮から日本への米の輸出が認められ、公文では朝鮮の関税自主権を奪い、日朝間の貿易は無関税になることが宣言された(http://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m09_1876_01.html)。日本が欧米列強によって押し付けられた不平等条約ですら、無関税でなく、一定の関税がかけられていたし、また、外国の貨幣の乱用も抑制されていた。そうした日本が苦しんだ不平等をさらに拡大させた条規を日本は朝鮮に強制したのである。日本は、朝鮮を経済的に搾取する姿勢を初発から露骨に示していた。

 ちなみに、朝鮮半島の植民地化によって、日本に在住する朝鮮人の数は激増した。一九一一年には二五〇〇人しかいなかったが、一九二〇年には約三万人、一九三〇年には約三〇万人、終戦直後には約二五〇万人になった(和田・石坂編「二〇〇二」、一〇二ページ)。

 このように露骨に朝鮮を支配する日本に対して、当時の列強は強硬に反対しなかった。


 一 朝鮮の期待を裏切ったセオドア・ローズベルト米大統領の武断外交


 一八七六年の「日朝修好条規」によって、開国を強制された朝鮮は、一八八二年に米国とも「米朝修好通商条約」(Treaty of Amity and Commerce betweenn the United States of America and Corea)を結んだ。条文の中には、両国は独立を保持するために協力するという趣旨が記されていた。しかし、米国は日露戦争に当たって日本を強く支持し、朝鮮の独立が脅かされても朝鮮を守る何らの行動をも取らなかった。

 米国は、フィリピン領有を日本が認めることと引き替えに、日本による韓国支配を黙認した。「桂・タフト協定」(Taft-Katsura Memorandum)がそれである。これも、すでに本書、第一章で簡単に触れたが、いま少し詳しく説明したい。この協定は、当時の首相兼臨時外務大臣であった桂太郎(3)と、フィリピン訪問の途中来日した米国特使であり、後の第二七代米国大統領ウィリアム・タフト(William Taft)陸軍長官との間で一九〇五年七月二七日に交わされた協定である。

 この協定は、両国の首脳が署名した正式のものではなく、両国の合意メモ程度のレベルのものであった。しかも、公表されない秘密合意であった。協定の存在は、ほぼ二〇年後の一九二四年に、歴史家、タイラー・デネット(Tyler Dennett)によって発見され、同年の米雑誌、Current Historyで発表された(Dennet[1924])。これは、タフトが一九〇五年七月二九日に東京から当時の国務長官、エリフ・ルート(Eliha Root)に宛てた電文のコピーである。コピーは、いわゆるセオドア・ローズベルト文書に保管されていたものである(Department of State Archives[1905])。

 デネットが公表したメモ(4)には以下のことが記載されていた。

 ?日本は、米国の植民地になったフィリピンに対して野心のないことを表明する。

 ?極東の平和は、日、米、英の三国による事実上の同盟によって守られるべきである。

 ?米国は、日本の韓国における指導的地位を認める。

 ?桂は、一九〇五年に停戦した日露戦争の直接の原因が韓国政府であると指摘し、もし、韓国政府が単独で放置されるような事態になれば、韓国政府は、ふたたび、同じように他国と条約を結んで日本を戦争に巻き込むだろう、従って日本は、韓国政府が再度別の外国との戦争を日本に強制する条約を締結することを防がなければならない、と主張した。

 ?タフト特使は、韓国が日本の保護国となることが東アジアの安定性に直接貢献することに同意した。

 ?タフトは、ローズベルト大統領がこの点に同意するだろうという彼の確信を示した(事実、ローズベルトは、同年七月三一日、同意する電文をタフトに送ったDennet[1924], p. 19)。

 韓国では、この覚書が日本による朝鮮半島支配を拡大させた契機となり、米国による韓国への重大な裏切り行為であったという非難が出されている(http://dokdo-research.com/temp25.html)。

 ちなみに、セオドア・ローズベルトは、軍事力による武断外交の実践者であった。モロッコにおける拉致事件の解決がその一例である。



 一九〇四年五月、モロッコでアーマド・イブン・ムハンマド・ライスリ(Ahmad Ibn Muhanmad Raisuli)率いる武装勢力によって、タンジール(Tangier)で農園を経営していた元米国人の富豪、グレゴリー・ペルディカリス(Gregory Perdicaris)の息子、イオン・ペルディカリス(Ion Perdicaris)が誘拐された。ライスリはモロッコのスルタンに対し、「モロッコでの外国人の安全」という国の名誉と交換に、七万ドルの身代金と、ライスリたちのモロッコにおける安全通行権、そしてタンジールの一部地域の統治権を要求した。

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