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Channel: 消された伝統の復権
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野崎日記(378) 日本を仕分けする(2) 金融(2)

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金融犯罪の典型

                             
 はじめに

 全国小売酒販組合中央会は、全国の酒小売販売業者によって組織されたものである。私的年金事業を営んでいた。この年金事業が2004(平成16)年6月に破綻した。いかがわしい社債を世界の一流金融機関から掴まされ、全額無価値になってしまったからである。掴まされた社債の発行体は、カナダの「チャンセリー・アンド・リーデンホール・リミテッド」(Chancery Leadenhall, Ltd.)という会社であった。この会社は、ウィリアム・ゴッドリー(William Godley)という南アフリカ国籍の人間の所有であった。中央会はこの会社に年金基金の80%を投資していたのである(1)。

 同中央会は、2002(平成14)年12月から2003(平成15)年4月にかけて、この社債を144億円分購入した。ただし、購入を決断したのは、同会の理事会ではなく、事務局長であった。事務局長が理事会の承認を得ることなく、独断専行で購入してしまったのである。ちなみに多くの金融詐欺事件は、正式の理事会を通さずに、担当職員の暴走によって契約されたものである。パターン化されたこの手口にじつに多くの企業が引っかかっている。私が知っている大学も、有名証券会社の名前ではめられた。

 被害者は、中央会ではあるが、老後に備えて同会に年金の掛け金を支払い続けていた小売店主の有志が「全国証券問題研究会」の会員弁護士に調査を依頼した。依頼人数は170名、依頼者だけでも、被害総額が5億2493万円であった。

 いかがわしい「チャンセリー債」(Chancery Bonds)を組成したのは、「インペリアル・コンソリデーティッド・グループ」(Imperial Consolidated Group)の日本組織、「インペリアル・コンソリデーティッド・ジャパン」(Imperial Consolidated Japan)であった。この組織は、日本で「アジャンドール倶楽部」という名前でも営業していた。インペリアル・コンソリデーティッド・グループは、行政監視の緩いカリブ海諸島に本拠を置き、米国、オーストラリア、ニュージーランド、日本などで、消費者金融業、事業者金融業に投資すると称して、投資家から多額の資金を騙しとっていたことで、多くの訴訟問題を起こしていた。

 中心人物のウィリアム・ゴッドリーは、恐喝を専門とする英国のインバーロ(Invaro)への貸付事業に投資すると標榜して、中央会の年金資金を騙しとったのである。

 このいかがわしい社債の販売に、クレディ・スイス(Credit Suisse)が係っていた。チャンセリー債を、中央会はクレディ・スイスを通して、購入していたのである。これは、中央会がクレディ・スイスと交わした「信託契約」(Trust Agreement)に基づく(2)。名高いクレディ・スイスと契約したのだからと中央会は頭から信用してしまったのもやむをえないであろう。

 クレディ・スイスは、中央会と契約するさいに、事前に契約書の案文を見せていなかった。また、中央会の一事務員が代表者の印鑑を勝手に使用することに異議を挟まなかったという通常の手続きを無視した。そして、クレディ・スイスは中央会から一億円もの手数料をせしめたのである。クレディ・スイスは、被害者弁護団の質問にさいして、「当社は、センチュリー債がどういうものか知らないし、知る義務もない。すべては、中央会の自己責任である」と嘯いたという。

 弁護団は、次のような感想を述べている。

 「本件は、あらゆる私的年金事業の劣悪な資産運用管理態勢が表面化した事件ですが、年金事業者が、殊に国際投資詐欺に対する免疫をほとんど持ち合わせていないことを物語る事件でもあります。不幸にして、このような事件が起こったのは、複雑な金融商品が氾濫し、しかもそれが国境をまたいで世界中を駆け巡っているという現象と無関係ではない、むしろそういった流れにあって不可避の病理現象と捉えております」(「全国小売酒販組合中央会・巨額投資被害事件、被害者弁護団」のパンフレット、2009(平成21)年1月20日付)(3)。

 一 すべては酒販売自由化から始まった

 日本の小売酒販店は、小泉内閣の規制緩和の嵐の直撃を受けた。2001年までは、酒類販売の免許を取得するさいに、大型店などの特例を除き、既存の酒小売販売売り場との距離が一定以上離れている必要がある距離基準、及び一定人口に1店舗しか免許が下りない人口基準があった。酒販売店は近所に競合店ができないように、法律で厚く保護されていたのである。

 しかし、2001年1月に距離基準が廃止された。しかし、人口基準はまだ残っていて、東京都の特別 区など、大都市では1500人に1店、中都市では1000人に1店、小さな町村等では750人に1店しか、酒類販売が認められていなかった。

 2003年9月には人口基準も廃止された。酒類販売免許が取得しやすくなり、酒屋の隣のコンビニエンスストアで酒類が販売される、ということが起こるようになった( http://www.foodrink.co.jp/backnumber/200302/news0209j-2.html)。

 ただし、経営に大きな影響を受ける一部地域の中小・零細の酒店を保護するため、自民党などが同年、「多くの小売店の経営が困難に陥っている」など一定の条件を満たした全国1274地域(地域は原則、市町村単位)を対象に、例外的に出店を規制する特例措置を議員立法で定めた。この法律が、「酒類小売業者経営改善等緊急措置法」である。

 同法は03年9月から2年間の時限法だったが、個人経営の酒店などを中心に再延長を求める声が強く、05年8月に1年間の再延長が決まった。この特例法の成立、その延長を政府に対して強く働きかけてきたのが、中小酒販店の業界団体、全国小売酒販組合中央会であった。このときの政治献金は、それこそ、生死をかけて巨額のものであった(4)。

 しかし、06年、件の中央会が、元事務局長の業務上横領事件に伴い政治活動を自粛した。さらに、政府・与党が06年6月18日までの通常国会の会期を延長しない方針を固めたため、再延長の法案提出が間に合わず、時間切れとなった。そして、6月12日、与党が同特例法の再延長をしない方針を固め、結局、出店制限の特例法は、06年8月末に失効し、06年9月から全面的に自由化されることになった(『讀賣新聞』2006年6月13日 付)。高く付いた詐欺被害であった。


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