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Channel: 消された伝統の復権
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野崎日記(402) 日本を仕分けする(26) オバマ(8)

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 四  ソマリア、アフガニスタンの泥沼に巻き込まれる危惧

 ソマリアは、三三〇〇?とアフリカ最長の海岸線を持っている。この海域はマグロの豊かな漁場であった。ソマリアが無政府状態になると、外国の水産会社が海岸線を支配する勢力から漁業権を買い取った。外国漁船は年間一〇〇〇隻前後、領海内に入ってトロール漁法でマグロを乱獲した。年間漁獲高は一九八〇年の四〇〇〇トンから〇三年には一二万トンに跳ね上がった。しかし、いまでは乱獲がたたって三万トン台にまで減少している。沿岸漁民はそのあおりで収入の道を断たれている。

 一九九〇年代、外国の企業が同じく海岸線を支配している軍事勢力に沿岸に産業破棄物の投棄を認めさせた。その結果、ソマリア沖には重金属や有毒化学物質を含む産業廃棄物や医療廃棄物が大量に投棄された。〇五年に派生したインド洋の大津波によって、放射性物質を含む廃棄物が大量に海岸線に打ち上げられた。多くの沿岸住民たちが被爆した。その数、数万人といわれている。この乱獲と汚染に追い立てられたソマリア人が海賊になった。

 イタリアと英国の植民地であったソマリアは人口九〇〇万人、一人当たりGDPは六〇〇ドル程度しかない。国民の半数は半飢餓状態にあり、幼時の四人に一人は五歳までに死ぬ。平均寿命は四九歳。ソマリアのエイルという村が海賊の基地になっているが、海賊の担い手は内陸部からやってくるという。ギャロウェイという致死には難民キャンプがあり、親を失った子供たちはそこの孤児院に集められて生活をしている。孤児院の子供たちが孤児院を出された後に海賊になるという。職がないてめである。彼らは生きる術を奪われてきた。彼らの海賊化は銃で阻止できるものではない。

 同じことがアフガニスタンについてもいえる。

 〇九年七月二日、タリバン支配のアフガニスタン米軍が「剣の一撃」作戦と銘打って海兵隊四〇〇〇人を投入する大攻勢をかけた。アフガニスタンで実施される八月二〇日の大統領選挙前に国内治安を回復させようとの意図から出された作戦であった。アフガニスタンには、六万八〇〇〇人の米軍や四二か国からの六万二〇〇〇人からなるISAF(国際支援部隊)が駐留し、タリバンの拠点を攻撃しているが、各攻撃部隊は、攻撃した地点に留まる兵力的余裕がないために、すぐに基地に帰還、再度、タリバンが支配を取り返すという悪循環が継続している。そこで、オバマ政権は、〇九年五月一一日、新しい駐留米軍司令官の任命と駐留米軍を二万一〇〇〇人増やすことに決めた。

 オバマ大統領は、イラク戦争を「間違っていた」と総括したが、アフガニスタンについては、「テロとの戦い」に必要とし、六月三〇日にイラクの都市から米軍を撤退させ、主力をアフガニスタンに移した。

 米国は、アフガニスタン最大の民族であるパシュトゥン人のハミド・カルザイ大統領を暫定政権にすえ、〇四年の選挙で大統領に押し立てたのであるが、カルザイ政権自体に汚職が蔓延し、軍閥は国家のことなど知らぬ顔でり、治安状態がいいところは、タリバンが支配する地域だけとなっている。住民は次第にタリバン支配を歓迎するようになってきている。米軍が去るとタリバンが戻ってくるという構図は、ベトナムでの悪夢と同じである。まさに、アフガニスタンはオバマにとってのアフガニスタンである。そもそも、アフガンに介入すれば、本国自体がおかしくなるのは歴史が示している。

 一八八〇年、英国がアフガニスタンを保護領にしたが、一九一九年に独立運動に敗れ撤退した。
 一九七九年ソ連軍が侵攻開始したが、一〇年後の八九年、一〇万人のソ連軍が追い出された。

 そして、米国が、〇一年米国と有志連合諸国は自衛権の発動として攻撃を開始し、それから八年が経つ。そして戦乱は、自体はアフガニスタンに留まらず、パキスタンにまで拡大しているのである。

 パキスタン軍は〇九年四月二七日、同国の北西辺境州ディール地区で二日連続にタリバンを攻撃し、タリバン側から死者四六人が出た。同地区でタリバンとの仲介に務めていた宗教指導者らは、同攻撃を平和協定違反と非難し、州政府との対話拒否を示した。また、同攻撃に反発したタリバンも、同地区の電話施設を占拠し、両方の衝突が再発するとの懸念が高まっている。なお、地元テレビ局は同日、約二〇万の地元住民が戦闘の激化を懸念して避難し始めたと報じた。


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