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Channel: 消された伝統の復権
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野崎日記(425) 韓国併合100年(64) 日本の仏教(7)

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 注

(1) 「以小事大」は、次の文章に見られる。
 「齊宣王問曰、交鄰國有道乎、孟子對曰、有、惟仁者爲能以大事小、是故湯事葛、文王事混夷、惟知者爲能以小事大、故大王事獯鬻、勾踐事呉、以大事小者、樂天者也、以小事大者、畏天者也、樂天者保天下、畏天者保其國、詩云、畏天之威、于時保之、王曰、大哉言矣、寡人有疾、寡人好勇、對曰、王請無好小勇、夫撫劍疾視曰、彼惡敢當吾哉、此匹夫之勇、敵一人者也、王請大之、詩云、王赫斯怒、爰整其旅、以遏徂莒、以篤周祜、以對于天下、此文王之勇也、文王一怒而安天下之民、書曰、天降下民、作之君、作之師、惟曰其助上帝寵之、四方有罪無罪惟我在、天下曷敢有越厥志、一人衡行於天下、武王恥之、此武王之勇也、而武王亦一怒而安天下之民、今王亦一怒而安天下之民、民惟恐王之不好勇也」。

 要約的に訳する。
 斉の宣王が孟子に質問した。隣国と交際する正しい道はどのようなものでしょう。孟子は答えた。大国の仁の王は小国を大事にします。大国の殷の湯王が小国の葛伯に仕えたこととか、同じく大国(周)の文王が小国の混夷に仕えたことがあります。逆のこともあります。小国の智の王は、大国と上手に交際できます。弱かった周の大王は、強かった国の王に仕え、同じく弱国の越王・勾踐が呉に仕えた例があります。大国なのに小国に仕えることができるのは、天を楽しむ王です。一方、小国で大国に仕えることができるのは、天を畏れる王です。天を楽しむ王は、勇気を持ち続けることができます。一方、天を畏れる王は、国を保ち続けることができます。剣を握って相手を威嚇するのは、匹夫の勇でしかありません(http://suzumoto.s217.xrea.com/website/mencius/mencius02-03.html)。

(2) 海印寺(Haeinsa)は、統一新羅時代の八〇二年に建立された名刹。伽揶山(Gayasan)南側の深山の中に位置する。「海印」とは、「波の動きもない海に、万物の形象がそのまま映るように、煩悩が消えた心には万物の真理もそのまま現れる」という意味の華厳経の海印三昧にちなむ。釈迦の正しい悟りの世界と、何も汚れてない清浄無垢な心を表す意味である。「法宝寺刹」とも呼ばれるのは、釈迦の教えのすべてをまとめた経典を保管する寺だからである(http://www.tabijin.com/temple_haeinsa.html)。

 この経典とは、高麗大蔵経のことである。大蔵軽は、高麗時代に刊行された。三種類あって、初彫大蔵経は一〇一一年頃、続蔵経は一一〇〇年頃、数年にわたって彫られた大事業であった。この大きな文化遺産も、蒙古襲撃や国内動乱によって、燃やされてしまった。その後、高麗王朝の再建を願って、一二三六年から一二五一年まで、じつに一六年をかけて再彫大蔵経が彫られた。これが高麗大蔵経と呼ばれているものである。李朝時代の一三九八年には、日本の足利義満がこの大蔵経を所望したが断られた。その後、日本側は一五、六回にわたって入手を懇願したが断られ続け、やっと一四五九年に入手できた。これは、京都の建仁寺に保存されている。海印寺に保存されている高麗大蔵経は、板数が八万枚あることから八万大蔵経とも言われている。この大蔵経を収納している海印寺大蔵経板殿は、一九九五年世界文化遺産に登録された(鎌田[一九八七]、六四、一六八、二七〇ページ)。

  梵魚寺(Beomosa)も、新羅時代の六七八年に創建された名刹である。金色の魚が五色雲に乗って寺の山頂に降りてきたという逸話による。寺には、「曹渓門」と書かれた扁額と、その左右には「金井山梵魚寺」と「禅刹大本山」といった扁額がある。創建時には、教宗寺であったが、一九〇〇年頃、禅宗寺になった。当時の禅仏教を主唱した僧侶たちは、禅仏教の運動を通して思想的・信仰的に疲弊された仏教界の現実を取り戻すためのものであった。禅仏教の運動は当時封建秩序の打破と近代社会を指向する時代的状況と結び付けられ、抗日運動へとつながった。この寺を日本の東本願寺が末寺にしてしまったのである。韓国の独立以後は、梵魚寺から輩出された禅知識などが日本仏教の残存物を清算し、韓国仏教の伝統と正統を立てるため、浄化運動を導く主役となった( http://jp.koreatemple.net/travel/view_temple.asp?temple_id=17)。

(3) 当時、使われた「開教」という言葉は、まったく新しい地に布教するという意味を持っていた。布教とは、日本人に仏の教えを説くという意味を持っていたから、それと区別するためである(菱木[一九九三]、一五七〜五八ページ)。

(4) 誘掖とは力を貸して導くこと(http://kotobank.jp/word/%E8%AA%98%E6%8E%96)。

(5) 彰如は法名(戒名)。本名は大谷光演(おおたに・こうえん、一八七五〜一九四三年)。妻は、三条実美の三女・章子(ふみこ)。正岡子規の影響を受けたが、後に『ホトトギス』から離脱。生涯に多くの俳句(約二万句)を残し、文化人としての才能を発揮、日本俳壇界に独自の境地を開いた。「句仏上人」(「句を以って仏徳を讃嘆す」の意)として親しまれる。句誌『懸葵(かけあおい)』を主宰した。句集に「夢の跡」、「我は我」などがある。一九〇六年に北海女学校を開校。一九〇八年、退隠した父・光瑩(こうえい)より第二三代法主を継承し、真宗大谷派管長となる。一九二五年、朝鮮半島における鉱山事業の失敗から、東本願寺の財政を混乱させ引責・退隠し、長男の光暢(こうちょう、法名、闡如(せんにょ)に法主を譲る(彰如『自然のままに』真宗大谷派宗務所出版部、一九九二年より。また、http://episode.kingendaikeizu.net/41.htm)。

(6) 寺刹とは寺院のこと。寺刹令(制令第七号)は、一九一一年六月公布、九月施行。
 第一条 寺刹を併合、移転又は廃止せむとするときは朝鮮総督の許可を受くべし其の基址又は名称を変更せむとするときは亦同じ
 第二条 寺刹の基址及伽藍は地方長官の許可を受くるに非ざれば伝法、布教、法要執行及僧尼止住の目的以外に之を使用し又は使用せしむることを得ず
 第三条 寺刹の本末関係、僧規、法式其の他必要なる寺法は各本寺に於いて之を定め朝鮮総督の許可を受くべし
 第四条 寺刹には住持を置くことを要す。住持は其の寺刹に属する一切の財産を管理し寺務及法要執行の責に任じ寺刹を代表す
 第五条 寺刹に属する土地、森林、建物、仏像、石物、古文書、古書画其の他の貴重品は朝鮮総督の許可を受くるに非ざれば之を処分することを得ず
 第六条 前条の規定に違反したる者は二年以下の懲役又は五百円以下の罰金に処す
 第七条 本令に規定するものの外寺刹に関し必要なる事項は朝鮮総督之を定む(朝鮮総督府[一九一一]、二二〜二三ページ)。
 現在では、使われていない言葉の意味を説明する。第一条の「基址(きし)」とは、建物の基礎に当たる土地のこと。第二条の「伝法(でんぽう)」とは、師が弟子に仏の教えを授け伝えること。「止住(しじゅう)」とは居住のこと。第三条の「僧規(そうき)」とは、僧侶に科せられた掟。「法式」とは儀式の作法や決まり。第四条の「住持(じゅうじ)」とは住職のこと。


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