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野崎日記(439) 韓国併合100年(78) 日本のキリスト教団(1)

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 韓国併合と日本のキリスト教団
 

 はじめに


 いずれの組織にも、意見の相違がある。組織が大きければ大きいほど、組織内での意見は多様に分岐する。それゆえ、組織の機関誌がある主張を掲載したからと言って、その組織全体が掲載された主張によって支配されていたと見なすことは危険である。しかし、それでも、組織の指導者たちが、権力に媚びた時代はあったという事実に目を背けてはならないだろう。自らを権力による弾圧の受難者であったと位置付けることが一般的になったが、実際には、必ずしもそうとは言い切れないのである。いずれの組織であれ、辛い過去の事実は直視されなければならない。

 一八九〇年三月一四日(第一号)から翌年九一年二月二七日(第五一号)まで続いた『福音週報』という日本基督教会の機関誌があった(植村[一七九七]、http://www.library.musashino.tokyo.jp/aizo/aizopage2-a.htm)。この機関誌は、一八九一年三月二〇日号から『福音新報』に改称されて、一九四二年九月二四日まで続いた(http://sinbun.ndl.go.jp/cgi-bin/outeturan/E_N_id_hyo.cgi?ID=015090)。

 この『福音週報』第四二号(一八九〇年一二月二六日付)に次のような文が掲載された。要約する。

 <いま、まさに殖民の時代が開始されようとしている。この時にキリスト教徒にはなすべきことがある。これまでと同じように、国内布教でよしとしている時ではない。海外の殖民にキリスト教の霊魂を与えるべく海外布教すべきである。仏教はすでにそうした事業を開始している。西洋の宣教師も同じく海外に乗り出している。そうしたことを傍観すべきではない。日本のキリスト教も、日本人の海外移住者の霊魂を慰めるべきである。海外に移住する日本人はとくに優等な人たちだからである>(T・K「殖民と基督教」、『福音週報』福音週報社、小川・池[一九八四]、一六ページ所収)。

 その二年後の一八九二年一〇月二一日付の『福音新報』(第八四号)には、苦学生の海外移住を支援する「日本力行会」の創設者であった島貫兵太夫(しまぬき・ひょうだゆう)の露骨な朝鮮布教論が掲載された。これも要約する。

 <日本は東洋の盟主である。宗教・政治・教育・技芸などの百般において、日本は東洋における冠たる位置にある。我々は、東洋諸国を導く責任がある。私は、朝鮮に渡っていろいろなことを見聞してきた。その結果、東洋に伝道することが日本の天職であると確信するに至った。朝鮮を救うのに最適な国は日本をおいてはない>(「往て朝鮮に伝道せよ」、『福音新報』福音新報社、川瀬[二〇〇九]、六〇ページより転載)。

 島貫は続ける。<日本は、キリスト教の伝来によって大きく啓発された。日本はこの恩恵を朝鮮人に伝えるべきである>、<韓国人でも下等な階級は、日本人を加藤清正や小西行長のような恐ろしい人間と見なしている。しかし、少しでも教育のある韓国人は、日本人を支那人よりも進歩した人間であるとの認識を持っていて、日本人の真似をしている>(川瀬、同、六一ページより転載)。

 この二つの記事は、日清戦争前のものであった。すでにこの時点で、『日本新報』の機関誌の編集者たちは、日本の朝鮮支配の予感を持っていたのである。
 そして、日本は日清戦争で勝利した。その時点での『福音新報』には、天を仰ぎたくなる記事が掲載された。要約する。

 <戦争が破壊的なものであることは否定できない。しかし、戦争は、現実には文明の使徒である。文明国である日本は、野蛮な支那に打ち勝った。これぞ、日本が文明の使徒の役割を果たしたことである。戦争は、文明国が野蛮国に与える鞭である>(川瀬、同、六二ページから転載)。以下、国家の対外膨張と自らの布教の軌跡を一致させてるという性向をプロテスタント各派は、無意識にせよ持っていたことを示す。


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